心の回復に本当に必要なものとは
心の回復には、何が必要なのでしょうか。
お薬。休養。話を聞いてもらうこと。生活のリズムを整えること。どれも大切なものだと思います。私自身、外来でお薬を処方しますし、それで楽になっていかれる方にも、たくさんお会いしてきました。
ただ、精神科医として20年以上働いてきて、外来で気になる声を耳にすることが少なくありません。
「お薬を飲んでいるのに、なかなか良くならない」
「お薬がどんどん増えていく」
「飲み続けることへの不安が、ずっと拭えない」
これは多くの場合、他のクリニックや病院から来られた方から伺う声です。
こうした声に触れるとき、私が考えることの根っこには、診療の核心と言える部分があります。精神科医として歩み始めた最初の数年間に形づくられ、それから今に至るまで、ずっと変わらずに私の中にあり続けているものです。
まずは、その核心の話からさせてください。
精神科の研修で感じた、ささやかな違和感
私はもともと泌尿器科を出発点にして、その後に精神科へ転科しました。市中の精神科病院で研修を始めた頃の話です。
研修体制は、今から思えば決して整ったものではありませんでしたが、周りの先生方は優しく接してくださいました。ただ、診療の場で交わされる会話は、いつも似た方向に向かっていました。「この症状にはこの薬がいい」「この薬はこのレセプターに作用するから」――話題はどうしても、お薬のことが中心になっていく。
入院の患者さんについて、「あの人はボーダー(境界性パーソナリティ障害)だから」と一括りに語られることもありました。私はその言葉に、どうしても馴染めませんでした。一人ひとりの背景や物語があるはずなのに、そこに目を向けないまま「もう治らない」という前提で語られていく雰囲気が、苦しかったのだと思います。
患者さんと一緒に悩みながら、ああでもないこうでもないとバタバタしている自分を、周囲の先生方やスタッフから「あの先生は患者に振り回されている」と言われたことも一度ではなかったと思います。確かに振り回されていたのです。けれど、振り回されてなんぼだ、くらいに思っていました。
当時、医療者の側から偏った目で見られがちな疾患が他にもありました。解離症状を抱える方への目線も、その一つです。20年以上前のことですが、解離は「医原性のもの(治療の中で生まれてしまったものという意味)」として扱われることも多く、「詐病」とまで言う人もいました。さすがに今はそこまで言う方は少なくなったと思いますが、当時はそういう空気が確かにありました。
「死にたい」「もう死ぬしかない」と語る方の話に、じっと耳を傾けていると、その方の感じている世界を否定できない、と思うことがありました。立場上、医師として死を止めなければならない。もちろん止めるのですが、それと同時に、「死ぬのはなんか違う、もったいない」とも感じていました。理屈ではなく、その人の人生がもったいない、という感覚でした。
研修の数年間は、こうした小さな、でもはっきりとした違和感が少しずつ少しずつ積み重なっていきました。
抜け落ちやすい『薬の副作用』という視点
お薬がどんどん増えていく――こういう状況には、見過ごされがちな、ひとつの可能性があります。
不調の正体が、もとの症状の悪化ではなく、薬の副作用そのものだった、というケースです。
こんな場面が、何度かありました。「とにかく不調で、薬がどんどん増えていく」という状態で、当院にいらっしゃる方がいます。お話をうかがって、お薬の内容と経過を一緒に整理していくと、実は不調の正体が薬の副作用だった、ということが意外と多いのです。
患者さんが何か不調を訴えたとき、その不調には大きく二つの可能性があります。ひとつは、もとの症状が悪化したり、新しい症状が出てきたりしている可能性。もうひとつは、今服用している薬の副作用である可能性。本来、この両方を考える必要があります。
ところが、副作用の可能性を最初から検討しない医師が、少なくないと感じています。患者さん自身が「これは薬の副作用ではないでしょうか」と尋ねても、即座に否定されてしまった、というお話もよく聞きます。
ここで、誤解のないようにお伝えしておきたいのですが、私はお薬を否定しているのではありません。お薬が必要な場面では、お薬は大切な助けになります。 ただ、「不調が出た→症状の悪化→薬を増やす」という一方通行の考え方だけになってしまうと、本当は減薬や中止で楽になれるかもしれない方を、かえって苦しめてしまうことがあるのです。
薬の届かないところに、回復の鍵があった
精神科医として数年が経った頃。私はそれまでの臨床に手応えを感じきれないまま、目の前の方々の苦しみの奥に、トラウマ(心の傷)と呼ばれるものがあるのではないか、と感じるようになりました。これは今でも変わらない、私の臨床の土台にある感覚です。そこから、トラウマや心の傷についての勉強を、本格的に始めるようになりました。
もっとも、当時はトラウマに関心を持つ精神科医や臨床心理士は、少数派でした。「変わったことに興味を持つ人」という目で見られることもありました。今は少しずつ風向きが変わってきていますが、私が学び始めた頃は、そういう時代だったのです。
その後、私の関心は、心や精神の世界そのものを見つめる方向にも広がっていきました。そうした中で、内面を深く見つめることの大切さに気づかせてくれた師との出会いがありました。
ようやく、自分が探していたものに辿り着いた気がしました。これが、私にとって大きな転機になりました。
そこから、私の臨床は変わっていきました。患者さんが訴える症状の奥にあるもの――抑えてきた感情、苦しめてきた思考のパターン――に、丁寧に目を向けるようになりました。
そうして関わっていく中で、冒頭でお話しした「お薬を飲んでいるのに、なかなか良くならない」という方たちが、どうやって変わっていかれるのかを、私は外来で何度も見てきました。
いろいろなお薬を試しても、なかなか良くならなかった方。長く苦しみ続けてきた方。その方が、ある日のふとした会話の中で、ずっと胸の奥に抱えてきた何かを、言葉にされることがあります。ご本人もそれまで意識していなかったような、小さな出来事だったり、誰かに対する気持ちだったり。
詰まっていた感情の通りが、すこし良くなる。その瞬間から、長らく動かなかったものが動き始める。そして、お薬では届かなかったところで、その方の状態が劇的に変わっていかれる――そういう場面を、私は何度も経験してきました。
お薬は、症状を和らげることに長けています。それは確かに大切な助けです。けれど、本当の意味での回復――その方が、ご自身の人生を、ご自身らしく歩んでいけるようになること――は、お薬だけでは届きにくい場所にあるように思います。これまで抑えてきた感情に気づき、自分を苦しめてきた思考のパターンを丁寧に見つめ直していくプロセスが、どうしてもそこに必要になる。
だから当院では、お薬を否定するのではなく、お薬だけに頼り過ぎない診療を大切にしています。お薬は、回復を助けるための大切な道具のひとつ。ただ、それだけで完結するものではないと考えています。
もし今、「薬を飲んでいるけれど、なかなか楽にならない」「自分のつらさは、本当に今の治療で良くなっていくのだろうか」と感じておられる方がいらしたら、その違和感は、大切にしていただいて良いものだと思います。その感覚は、ご自身の回復への道筋を考える上で、ひとつの手がかりになるかもしれません。
私たちは、医師としてだけでなく、ひとりの人として、また、生きづらさを共有する“仲間”として、その方の歩みに真摯に寄り添いたいと思っています。
院長 宮地 文也
